演目
歴代太夫(師匠・リーダー)は、古来の型の伝承に心血を注ぎ、いたずらに改良することは決して許さなかったため、各舞の全ての由来も今に伝わっています。
ここでは、盛岡市山岸地区に伝わるさんさ踊りの主な演目とその由来を紹介します。
石こ投げ (いしこなげ)
古語では「石投ご」あるいは「石の祝ひ」と称し、婚礼の夜、近隣の者が小石を投げこむ祝いの習俗を今に伝えるものである。
弥栄 (やんさか)
手刀を切り大地を踏み固める反閇(へんばい)の技は、山伏神楽の流れを汲む鎮護の舞であるとともに、五穀豊穣の願いが込められている。正式な訓読は「いやさか」であり、祝賀会で唱和される万歳(ばんさい)と同義でもある。
釣瓶落し (つるべおとし)
農民が水を敬う素朴な心は、水神信仰につながるものである。<BR>釣瓶の上がり下がりを真似た軽妙な所作にその心がよく託されている。
手合わせ (組み踊り)
衣装の袖口を押さえ、二人が向き合っての踊り方は、如来の降臨に歓喜するという念仏剣舞の影響を受けたものと言われる。
また、藩侯の座興のもと、古くは男女ペアで踊られており、すれ違う際の背中の密着度によって、双方の思慕の度合いが容易に判明したと伝わる。
キッカラカト ダンカラカ (稲つるび)
稲妻は豊作の吉兆である。真夏の夕空に「キッカラカト ダンカラカ」と稲妻が閃いたとき、山岸の田圃では稲穂が一斉に結実する。山岸の古老は「稲ツルミ」とも呼ぶ。
雀追い (すずめぼい)
軽妙な身振りと掛け声の主は、稲穂に群がる雀を追う姿の老婆(爺)である。藩政時代の度重なる飢餓に遭遇した領民は、群雀(むらすずめ)を大豊作の象徴と考えたことから、懇親の祈りを込めて踊ったであろうことが今でも偲ばれる。
よしゃれくずし
後代、藩侯の奨励もあって、城下雫石に発祥の「よしゃれ踊り」の一部を取り入れたものである。ゆっくりとしたテンポが独特の趣を醸し出している。
テレビの『壬生義士伝』※では安倍なつみも演じていた。
勝手来殿 (かってこでん)
戦勝の後、無事御殿へ帰還できることを寺社に祈願した藩主が結願(けちがん)の日に境内で踊ることを命じたことによる。「勝手御殿」と記すとも伝わる。
映画の『壬生義士伝』※では夏川結衣も演じていた。
亀喜鶴古 (きっきかっこ)
鶴と亀が優雅に舞い遊ぶ様を彷彿とさせるもので、古来より祝儀の際には必ず演じられているものである。
礼踊り (れいおどり)
目出度い席での「お暇乞い」(おいとまごい)として踊られ、名残惜しさと感謝の気持ちを情緒豊かに表現している。
通り太鼓 (とおりだいこ)
盛岡市内の夏祭りで一般的に演じられている「通り太鼓」の原型がこれである。統一された「盛岡さんさ踊り」の基本形の多くが「山岸さんさ踊り」であることは、当時の関係者にはよく知られている。
※『壬生義士伝』(みぶぎしでん)
南部盛岡藩の脱藩浪士・吉村貫一郎という実在した新選組隊士の生涯を描いた浅田次郎原作の小説。
テレビ・映画で放映された「壬生義士伝」で、劇中に「しづ」役の安倍なつみ(テレビ・2002年・テレビ東京系)・夏川結衣(映画・2003年・松竹系)が踊っていたさんさ踊りのシーンでは時代考証のうえ当保存会員が撮影に参加している。