由来

さんさ踊りの由来は各地区に諸説伝わっておりますが、ここでは、岩手県盛岡市山岸地区に伝わるさんさ踊りの由来を紹介します。

昔、奥州南部藩の殿様が京の都よりはるばる不来方城(盛岡城)へ帰られた際(参勤交代)、地元の山岸・関口(現:愛宕町)・北山の百姓衆が久方ぶりの殿様の滞在に何か喜んでもらうものはないかと相談しました。ところが、みちのくのひなびた田舎のことなので京の都に比べて食べるものといっても春には山菜、秋にはきのこ程度のものしかないため、思案のあげく、「そうだ、夜になったらこれにしよう」ということになりました…。

やがて夕闇迫るころ、殿様の館にはかがり火が燃え、あちこちから『通り太鼓』の音が聞こえてきました。よく見れば老若男女、皆頭上のすげ笠※1にはキャベツの葉を乗せ、手には手甲、腰には色とりどりの帯※2を下げて集まり、古人から地元に伝えられている踊りと口伝え

におぼえた唄の拍子につられ、「サッコラ、チョイワヤッセ」と唄うのです。

やがて殿様の館の庭いっぱいに大きな輪になった百姓衆は先頭の太鼓の調子に合わせ、いっせいに踊りがはじまったわけです。

「さんさ踊るなら品よく踊れ、品の良い娘を嫁にとるサンサエー」

・・・ 殿様は奥の部屋で側近の者、地元庄屋達と一献酌み交わしていましたが、やがて太鼓の音や人々の騒ぎに気づかれた殿は庭に出て見て踊りの振りの面白さにことのほか喜ばれ、「地方にこんな楽しい踊りがあったとは夢にも知らなかった。さあさ踊れ、さあさ踊れ」と、百姓衆の輪の中に入っていったそうです。

その時、殿様の言った言葉の「さあさ」踊れが百姓衆の気に入ることとなり、「さあさ」を「さんさ踊り」と名づけたと伝えられております。

また、一説には当時踊りの数が33種類もあったことから「三十三」が「さんさ」となったとも言われております。

※1 現在のさんさ踊りでは、牡丹の花を模した花笠が使用されています。(蓮の花に由来しているともいわれています。)

※2 左から赤、水色、ピンク、紫、黄色の五色の帯を下げており、これを「五色(ごしき)」といいます。

(地区によっては色の順序が変わっていたり、色の種類が多い場合があります。)